今日は丸一日パソコンと向き合ってひたすら論文を詰めておりました( ´ ▽ ` )
本当に…肩が…凝りますね…(´・_・`)
論文終わったら目一杯身体を動かすことに決めました♪
さて、そんな論文を書いている中で、実は地味に一番苦労しているのが、詩の対訳作りです。
映画や小説は結末を先に知ってもへっちゃらなのに、外国の詩だけはどうしても"正解"を先に知りたくないという変わった意地がありまして、(笑)
今日は論文で取り上げている5曲の対訳を必死に作っておりました。
辞書なく粗方その詩が読解できるようになったら、その言語の一流だと、私は思います。
特に外国の詩の場合、韻を踏むために文法を崩して書かれているものが殆どです。
存在しない造語だってへっちゃらに使っちゃいますし、
何より一つ一つの単語や言い回しにどんなニュアンスがあるのかも把握していなければいけません。
詩は、訳すだけではゴールではないんです。
訳して、意味を把握して、咀嚼して、納得するまでが詩の楽しみ方。
そのためには、その国の文化や環境を知る必要もありますし、
シンボル的な意味も分かっていないといけない。
私の大学院の英米歌曲の授業には、本当にありがたいことに、素晴らしい先生が3人いらっしゃいます。
音楽的なご指導をしてくださる声楽の先生、私の拙い歌を支えてくださるピアノの先生、そして語学研究家でいらっしゃる語学のスペシャリストの先生です。
お若くていらっしゃる先生ですが、本当に英語の隅から隅までご存知でいらっしゃって、
授業に参加させていただくたびに1人感嘆しています。
もちろん、先生は英語の詩もさらさらりと読んでしまわれます。
私は、一つごとに邁進することが恐らく得意です。
同時に何かを熟すこともできなくはないのですが、恐らく二兎を得ずになります。
ドイツリートの権威でいらっしゃった中山悌一さんも、アリアを素晴らしくお歌いになられるのにも関わらず、「僕はドイツリートの専門だ」とおっしゃっていたそうです。
一つごとを極めると、実は他の事柄の真髄も見えてくるのではないかなと、最近は考えています。
この世にある"学べること"の全ては、元は哲学だったわけですから。
そんな一つごとに努力し秀でた方を、私は心から尊敬します。
現代に於いて、実は一番難しい努力の仕方なのかもしれませんが。
明日はとっても寒くなるそうですね。
皆様お気をつけてお過ごしください^_^
Haruka.