KAERU-NO-UTA

ソプラノ 佐々木美歌の のんびり日記。

一感想

英語による覇権は、希望か絶望か | シネマ&ドラマ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト


ここ最近、世界に世界一高い塔が建ってゆくたびに、聖書の中に出てくるバベルの塔のお話を思い出すのですが、

そんな私が見つけた興味深い記事。



と言っておきながら、今回の記事の内容は言語のお話です。



この記事の中に、「母語以上に外国語が上手くなることはない」という張競氏のサントリー文化財団フォーラムでの言葉が出てきますが、勉強の上で様々な外国語(とりわけ英語)に接している私にとって、とても感慨深い言葉に感じます。

一感想ですが、身分、国、環境分け隔てなく、感情主体で通じ合える"共通言語"的な日本語がどんどん生まれる最近、難解で、深遠で、美しい日本語が失われていくような気がして、なんとも残念な、切ない気持ちになる時があります。

それは、日本にある故郷的な風景が失われてゆく寂しさにどこなとなく似ています。

人間が自ら本能を手放しているような、より機械的な存在になっているような気がすることもあります。

まるで人間自身で作り出したコンピュータのように。



歌い手が日本歌曲をどんなに学んでいても、聴き手が理解しえない単語ばかりが並ぶ歌曲を歌う場合、ある程度聴き手の知識力(想像力)に頼らざるを得ない時もあります。

まるで詩の形を成していない、ただの一個人の日記のような歌詞についた曲を聴いた時のあの衝撃。

それが受け入れられるようになった今日日。


時代が変わったのよと言われればその通りなのでしょうが、何とも切ない気持ちになるのは何故でしょう。


決して間違えてるわけではない。
でも、決して正解ではないような気がする。

そんな気持ちの原因の一端を表現しているような気がして、上記の記事を挙げさせていただきました。


Haruka.