KAERU-NO-UTA

ソプラノ 佐々木美歌の のんびり日記。

岐路


※ちょっと内省的です>_<でも何故だか書きたくなったので書きます(笑)本を読んでいたら思いついたメモ書きですので、内容とは打って変わって実はかなり気楽だということだけ付け加えておきます( ´ ▽ ` )笑







何かを諦めるって、怖いですよね。

「これを諦めて後悔しないかな?」とか

「自分はやると決めたらやる人間だから、諦めたら負けだ」とか


色んな意見があっていいと思っています。



昨年、どう考えても諦めざるを得ないことがあったのですが、大したことではないのに執着からか中々「えいっ!」とはいかなかった。

久しぶりに見つけた小さな幸せだったからかなぁ。



ですが、年を跨ぐ中で色々な人、ものに出会って、

やっと少しずつ、諦めるという道が見えてきた気がしています( ´ ▽ ` )



私にとって、"諦め"は決して"負け"ではないんです。


赤にするか、青にするか

右へ行くか、左へ行くか

食べるか、食べないか

延命するか、尊厳死を選ぶか



生きている限り、死ぬ瞬間でさえ、選択しなければならない時は必ず来ます。

大きいことであれ、小さいことであれ。


そして幾度となく訪れる選択の瞬間、必ず"諦める"行為を伴います。


ですがそれは私にとって、決して勝ち負けとは直結していません。

だって"諦める"ことで新しく素晴らしいものに出会えたことが何度もありましたから。


例えば高校受験の時。

中高一貫校で、中学校では特別進学6年コースという、難関大学受験を見据えたクラスで学ばせていただいていましたが、

高校進学を控えて、小説家になるか音楽家になるか、の間で揺れていました。


"言葉の成り立ち"を研究することが楽しくて(これは担任の国語の先生の影響が十二分にあります)、その言葉で自分の中から湧き上がる物語を世の中に提示することに憧れていたんです。



あの時、中学校のクラスのまま高校進学をしていたら、今頃何をしていただろう。

時々、そう考えることがあります。


ですが、いつでも"今"が楽しい私にとって、それはただの想像であって、後悔ではない、ということに気づきました。


音楽の道を選んだからこそ、出会えた素晴らしい人、素敵なものがありますから。




自分が選択した答え、諦めた答えに執着し後悔することは、とても無駄なことだと思います。


あの時彼と別れていなければ

あの時彼女と話していれば

あの時あそこへ行かなければ

あの時あれを見ていれば



でもそれを選択したのは自分自身に他ならなくて、

その時の自分にとっては、その選択が最善だったのだと思うんです。


ある意味で、私は"偶然"を信じていません。

たくさんの小さな選択が積み重なった先に、"偶然"のように思える"必然"があるのだと思っています。


余談ですが、選択した答え対する"責任"という言い方は好きではありません。

「君が選んだんだから君が責任取れよ」は、血が通っていない気がして。

責任は時に、可能性を断じてしまうことがありますから。

まあ、社会を知らないペーペーが何を言うかとなるでしょうけれど(笑)


この"責任を取る"を言い換えるなら、"自分で選んだ道なのだから、その道の中で精一杯楽しむためにベストを尽くすべき"です。



人生を謳歌している方が、私の周りには沢山いらっしゃいますが、

その人たちの誰もが、自分の選択に対して"後悔"が見られないように思えます。

"今"を楽しんでいる。

未来を見ない、というわけではありませんよ。

そしてその人たちは、楽しんで選択の責任を全うしている。

皆さん本当に輝いています。



さて、話を戻しますが

私は今、


続けるか、続けないか


の岐路に立とうとしています。

立たされているのではありませんが、そろそろ立たねばならないかな、と思っています。
(もちろん歌のことではありませんよ笑)


続けたとしても、苦しむのは目に見えています。

諦めたとしても、恐らく苦々しい気持ちはしばらく残るでしょう。



もう少し、岐路の前で立って考えるつもりですが(あまり差し迫った問題ではない上に、私一人の問題ではないので)、

不思議と"岐路の前に立つ"とイメージしただけで、気持ちがニュートラルになっていくんです。

そしてニュートラルになると、自分を客観視できるようになってくる。


自分が自分らしい"いい人"になるには、どうしたらいいのか。

冷静に考えられるようになります。



私にとっては、選択する、ということは自分と向き合うことと似ています。

その時の自分の呼吸に合った答えを見つけ出すのですから、自分と向き合わざるを得ません。

何事も慌ただしく、そして大抵のものは手に入りやすい現代、自分や相手の呼吸を意識することすら難しくなっています。

自分と向き合うって、"自分に本当に必要なこと"を見極めることと同義で

"やりたい"という欲求から一歩離れて、"今の自分でないとできないこと、必要なこと"を見つけられるきっかけになりますから。

そして、自分にとって本当に"やりたい"ことを見つけることができる。


意外と人の欲求の源ってシンプルなものなんじゃないかと思う時があります。


沢山ある"やりたいこと"を突き詰めると、一つの"やりたいこと"、"なりたい自分"に収まる。

かく言う私もやりたいことが沢山ある人なのですが、源はちゃんと把握しています。

"どうして自分はそれをやりたいのか?"


あ、また逸れちゃったお話(笑)



話を戻しますと、日々何か上手くいかない、最近調子が悪い、人とぶつかりまくる、という時は、大抵自分や相手の呼吸を無視しているせいだったりします。



そして年末、私は正にその状態でした。

溺れたみたいにアップアップになって、我を忘れていました。

そしてそれは、顕著に歌や体調に現れました。



だから、一度全部ゼロに戻らなければならないと思いました。

色々なものを削ぎ落として、シンプルな自分になる。


そうして今、岐路に立とうとしています。

立って、両方の道を見極める。


続けるか、諦めるか。


そうして諦めた道を、未来の私は後悔しないと思います。

チリっとした痛みはしばらく残るかもしれない。

あるいは、選んだ道は茨の道かもしれない。

でも、岐路に立っていた時の私の呼吸では、その道の空気、香りを吸う他なかったのだと、思える自信があります。



さて、どうしようかな。


選択に至るまでのイベントが目白押しな今月、来月。

イベントを過ぎたら、しっかり選択するつもりです。

自分の呼吸を取り戻せますように。








Haruka.