昨日今日と過ごしやすい日が続いていますね^^
どこかへ出かけたくなる日和。
思いついたときにフラリと出かける癖のある私にとっては悪魔的な誘惑日和でした笑
フラフラ癖を我慢するために、ポインセチアを買って帰りました笑
さて、今日はレッスンからそのまま、東京藝術大学の合唱定期演奏会を奏楽堂へ聴きに行ってきました。
最近は論文作成のためにパソコンと睨めっこ状態だったためか、人と話す事が楽しくて仕方ありません。笑
元々お喋りが大好きなのですが、今日は友人から「今日よく喋るね」と言われ反省したほどでした。
高校に上がる前、このまま特別進学クラスにいるか音楽科を受験するか迷っていたとき、もしも「小説家になりたい」という夢を追って特別進学クラスに残っていたら、今頃ストレスで倒れていたことでしょう。
というくらいのキツさなんですよ、パソコンと睨めっこしながら何かを創造するって(笑)
それでも何かを創造せずにはいられないのだろうな、と思う今日この頃です。
思春期特有のあの情熱的な創造意欲(笑)は落ち着きましたが、今では胸の奥で静かに燃え続けている感じです。
思春期の情熱の炎が燃え上がるような赤ならば、今は小さいけれど青く温度の高い炎、といったような。
と、話が逸れていくので本題に戻ります。
今日の演奏会はJ. S. BachのWeihnachts-Oratorium(クリスマス オラトリオ)から第一部~第三部+第六部の計四部の演奏でした。
同じ修士の先輩や同輩や後輩がソリストとして演奏し、合唱は同じ声楽科の学部生の方たちの演奏です。
来月の演奏会に向けたプログラムノートの作成や論文作成があり第二部までしか聴くことができませんでしたが、「やっぱりいいなぁバッハって」としみじみ聴いておりました。
ヨーロッパの方達にとってクリスマスが本当に特別なものだということが、曲を聴いていると分かります。
後半も聴きたかったな><
そんな演奏を聴きながら、考えていたのが「信じる」ということ。
時々あるんです、曲の内容などに関係のないことが、聴いている間にふと脳裏によぎること。
血のつながりの無い誰かに「信じてもらえる」と感じた時、人は今までにないほど力を出せるものなのではないかと。
もちろん家族に信じてもらえることはとてもありがたいことですし幸せなことですが、同じ屋根の下で暮らしたことの無い人に信じてもらえたときのあの感覚は、言葉にできません。
自分が相手を信じていようがいまいが。
「信じているよ」と言葉にして伝えるだけで、こんなに自信が沸き起こるものなのかと、驚くときもあります。
「信じる」って、「人に言う」って書くんですものね。
って金八先生風に言ってみます笑
優しさや感情表現は人それぞれですから、口にせずただ黙って見守っている人もいれば、口に出して表現する人もいるでしょうけれど。
そんな人それぞれの「優しさ」をきちんとキャッチできるセンサーを育てて行きたいものだというお話は、また別の機会に。
私は、人との出会いや縁に於いては本当に恵まれている人間だと自負しています。
私を信頼して、私に信用させてくれる方達。
友人も、先生も、家族も。
だから、私は「人が好き」なんだと思います。
人を知ること、人について考えること、人と繋がること。
音楽(藝術)や文字は、相手を深く知り、相手に自分を知っていただくためのコミュニケーションのツールなのだと思うんです。
うーん、表現の仕方がお粗末ですね・・・
というか、あれだけ考えていたのにまとまらないなんて!笑
音楽は元々神への祈りの一種だったわけですし、
文字も神様の言葉を伺うために生まれたという中国のお話があるくらいですから、
そこには一種の「信仰」があったわけで。
ですから私たち演奏家は、心の中に必ず研ぎ澄まされた感覚(緊張感)、清潔感(透明さ)、上品さが必要なのだと思います。
神様言葉を拝聴するための清潔な場所、神様の言葉を拝聴するマナーを知る高官たち、そしてその場を占領する張り詰めた何か。
一生これを続けていたら、長生きはできないのでしょうけれど(笑)
そんな演奏を目指しています。
またお話がずれてゆく・・・笑
明日はまたまた永田町に出没しますというよりも永田町の某場所に朝から夕方まで缶詰です笑
幸せのお手伝いができるので実は毎回楽しみなのですが^^
というわけで、無理矢理バッハ繋がりということで、今日はこちらの曲を貼ってお別れしたいと思います!
いつかヴォカリーズで歌いたいなぁ。
J. S. Bach - Sonata for Viola da Gamba and Clavier in G Minor BWV 1029 - 2. Adagio (2/3) - YouTube
Haruka.