時には雑談でも……
私は、作曲家を尊敬しています。
今まで数え切れないほど沢山の作曲家の曲を聴き、演奏してきましたが、さまざまな作曲家の作品に出会えば出会うほど、尊敬の念は深まっていきます。
「生みの苦しみ」という言葉がある通り、作曲は心の海から跳ねた水滴を美しく整え楽譜という形にしなくてはいけないものなのではないかなと思うのですが、それはきっと肉体的にも精神的にも大変な取り組みだと思うのです。
そしてそれは、自分の身体にない媒体を通して初めて形になる藝術。
人の五感に触れて初めて成長していく藝術。
私は、まだ演奏されたことのない新曲と出会うにつけ、そう感じてきました。
私が友人の作曲家の方々のクラシック曲の初演に携わるのは今までに何度もありましたが、特に覚えているのは20代の前半、同じ大学の学生だった頃の方々の作品で、一つはピアノと歌、もう一つはハープやヴァイオリンや打楽器と歌の形態の曲でした。
手元にある二次元のモノクロの楽譜に込められた魂が、奏者の手で三次元の世界へと放たれて、聴衆の中に様々な感情や色彩をもたらす姿を見てドキドキしたものです。
どちらも試験の一環だったため、本番の時の音源が手元に無いのは残念ですが、今でも鮮明にあの時感じた気分を覚えています。
素晴らしい機会をいただけたことにも感謝でいっぱいですし、「ああ、作曲家ってやっぱりすごい」と何度も感じさせてくれた作品たちでした。
そしてその他に何曲も、「今の私の実力や経験値では絶対にこれを美しく表現することはできない」と、演奏できなかったことが残念でならない素晴らしい曲もありました。
さて、とりとめのない記事になりましたが、初演にしてもすでに何度も演奏されたことのある曲にしても、初めて演奏する曲をさらう場合、初っ端からCDやYouTubeなどを使って耳で勉強される方がかなり多くいらっしゃると伺ったことがあります。
私の周りではあまりそういう方がいらっしゃらないからなのか、それを伺った時は驚きました。
もちろん、そういった勉強法も必要なのはよく分かりますし、そういう方に対して批判も何も抱いていませんし、人には人の事情があり、譜読みの方法は人それぞれで、正解なんてないのだと思っています。
今では耳コピだけで歌ってくださいというお仕事も沢山あることはよく承知していますし、おそらくある程度のものであれば、出来ないことはないと思います。
とくにポップスの世界はそうなのかな。
よく知っているわけではありませんが、耳コピの印象が強いです。
そしてその再現力は本当にすごいと思います。
もちろん、「楽譜をくださいー!」というお話でもありません。
最終的に美しくて素敵なものが出来上がれば、耳コピでもなんでもいいんです。
ただ私は個人的に、曲に取り組む時はできるだけ楽譜から勉強したいんです。
手元にその作曲家の魂の分身(直筆であれば魂そのもの)を感じて、自分の中の海にしっかり落とし込んで、そこから跳ねた水滴を声という形にしていく。
そうして出来上がったものが、自分の声を通して聴衆へ届く。
なんて素敵な創造…!と感動することもしばしば。
何を言いたいのか分からない記事ですが笑、とにかく作曲家の方々はすごい方々です。
どんなジャンルであれ。
そして、魂のこもった作品を演奏できる機会をいただけることに、ただただ感謝しています。
何か曲を聴く時、演奏家がフィーチャーされがちですが、どんなジャンルであれぜひ作曲家や詩人にも目を向けていただいて、「この作曲家/詩人はこんなことを表現したかったのかな?」などなど想像していただけると嬉しいな、と思う個人的な感想でした。
Haruka.